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追憶 6. 涙 〜悲劇のヒロイン〜
 
 告知を受けて、泣いて考えて泣いて・・・。
 
 放っとけばいつまでだって泣けそうだったけど、そういうわけにもいかないし

 ぼんやりした頭のままNICUに戻った。ハル君に会うために。

 ホントは帰りたかった。

 泣き顔のままで恥ずかしいし、ハル君を見たら悲しくなっちゃうから見たくなかった。

 でも、病気を告知された途端、我が子に会いに来なくなる母親だとか思われたくなかったので

 仕方なく行った。・・・いいお母さんのフリしたかっただけ。



 ハル君は相変わらず普通の子に見えた。治る病気の子に見えた。

  なんで? なんでなの??
  なんで一番最悪な展開なわけ??


 深刻な子のママだ、とほかのママたちに思われたくないから、

 唇噛んで涙をこらえた。 自分の腕もつねった。

 涙をこらえられる痛みが欲しかった。強いリアルな痛み。心が受けてる以上の痛みが・・・。


 遙夏の病気のことで人前で泣いてしまったら、

 遙夏の命の短さを私の中で肯定してしまうような気がして、

 それだけは絶対にしたくなかったんだと思う。



 
 家に帰り、ネットで『18トリソミー』と検索をかけてみた。

 HPも、親の会への書き込みも、圧倒的に天使の子が多かった。

 (実際は違ったのかもしれないけど、あの時はそう感じた。
   死んでしまう、ということに過敏になっていただけかもしれない)

 調べれば調べるほど、気持ちは暗く、重く、悲しくなった。

 今のように『ブログ』がこんなにも発達している時期ではなかったから、情報量も少なかった。

  予後絶対不良
  1歳になるのは10%
 

 ――――この文字ばかりが決まったように並べられていた。

 やっぱり生きられないんだ。 10%って、超・少ないじゃん。そんな中に入れるわけ無いよ。



 生きてる子のHPを見ても、フツーの子じゃない。

  障害児

 パッと見てそうわかる。

 たとえ遙夏が生きたとしても、私、『障害児のママ』やらなきゃいけないの??

 できるわけない。『かわいそう』って思われたくない。

 イヤ、イヤだ。絶対イヤッ!!

 私の人生、何でこんななんだよ、、、もぅ消えてなくなりたいよ。




 一寸の光も見出せないまま、次の日を迎える。




 産後の体も完全には癒えてなかったし、ホントは家で寝てたかった。

 遙夏が生まれて1ヶ月、せっせと面会に行ってたけどホントはしんどかった。

 胃は痛いし、目は回るし、骨盤も割れそうに痛かった。

 挙句の果てにあんなにハードな精神的ダメージをくらってしまって、もぅホント勘弁してほしかった。

 ただただ『ダメなお母さん』な自分を見せないようにという思いが私を動かしていた。




 告知の次の日も晴れていた。

 家から歩いて5分の病院。その道のりを歩くだけでも涙が出そうになって困った。

 一人テクテク歩いていると考えてしまう、いろんなことを。

  いつまで生きられるの?
  一緒にお散歩できるかな?
  今すぐ覚悟しなくちゃいけないの?



 涙が出そうになっては頭の中を真っ白にしようと努力し、面会への足取りは重かった。

  今日、面会に行かなかったら、
  私きっともう行かなくなる。遙夏の病気に背を向けてしまう・・・

 そんな風に思いながら面会に行ったと思う。

 涙が出ないようにするのだけが、精一杯だった。

| <<追憶>> | 02:32 | - | pookmark |
追憶 5. 告知 〜私はもう神には祈らない〜
 先生の話を聞く日になった。

 遙夏が生まれて26日目。8月23日だった。

 パパと二人、NICUに入るために手を念入りに洗って、白衣を着て・・・。

 NICUのドアを開けたら呼び止められた。―――別の部屋で話します、と。
 
 せっかくハル君に会う支度したのになぁ、また後でやり直しだなぁ、とか考えていたと思う。

 私の顔はニコニコだったと思う。それは今でも良く憶えている。

 だって、ホントに退院はいつとか、そうゆう話だと思っていたのだから。

 

 ナースステーションの隣にあるカンファレンス室に入る。

 なんか、ドキドキ×ワクワク。

 何もわからなかったモヤモヤをやっと晴らしてもらえるんだって思って席についた。

 先生達は、真剣な顔。私はそれでもウキウキしていた。

 

 主治医の先生は、

  『遙夏くんの病気ですが、あまりいいお話ではありません。』

 開口一番、こう言った。

 ウキウキしてたのに、イヤな考えは全部打ち消してたのに、神様お願いって言ったのに・・・

 どんな顔をすればいいか分からなかった。

 でも、先生にこう言われても私は諦めてなかった。

  いい話じゃないって言っても、普通よりちょっと悪いくらいだよね?
  今は元気じゃないけど、治るんだよね?

 そんな風に考えていたと思う。

 その後、遙夏の病気が染色体の異常だと、18番染色体が3本あると説明された。
 
  染色体?多くてラッキーじゃないの?何がいけないの?それって、重大なこと?

 説明を受けていも、ことの重大さがいまいち分からなかった。

 先生は染色体の構造とか、丁寧に説明をしてくれた。

 でも、私は結局どうなるの?って結果が知りたくて、イライラしてた。

 そして、最後に先生は・・・

    『予後は楽観できません。』  

 と、言った。

  予後って・・・・・・何? 楽観ってどうゆう意味?

 難しい言葉使わないでよっ!とか思いながらも、

 数秒考えて、さすがの私も分からないはずも無く、理解せざるを得なかった。

    はるくんのびょうきはなおらない。。。。。。。 
 
    はるくんはながくいきられない。。。。。。。

 涙が、出た。我慢したくても、止まらなかった。人がいるのに、止まらなかった。

 隣にいたパパが私の手を握った。パパも泣いていた。

 私は、ただ、泣き声を堪えるので精一杯だった。

 ハル君の担当看護師さんも泣いていた。

 私は先生に

  『ハル君の運命はいつ決まってしまったのですか?』 とだけ聞いた。

 私は、7ヶ月目までウェイトレスのバイトをしてたし、

 高いヒールの靴を履いて、ショッピングもしてた。パパともいっぱい喧嘩してた。

 おなかの子の為にならないことばかりしてて、それが原因なのか知りたかった。

 赤ちゃんがこうなってしまったのは私のせいって思われるのがイヤだったから・・・。

 赤ちゃんのことは心底悲しく、辛かったけど、こんな時でさえ自分の保身を考えていた。

 

 シクシク、シクシク・・・・

 いくら泣いても、いくら考えても、どうにもならない。どうしていいのか分からない。

 何分くらいあの部屋で泣いていたのかな?

 NICUの主任看護師さんが、私の背中をずっとさすってくれていた。

 先生達はそっと部屋を出て行かれた。

 

 正直、私にとって2人目妊娠は、すごく嬉しいと言うものではなかった。

 上の子に手がかからなくなって来た矢先だったし、外に働きに出るのも楽しかった。

 育児は思っていたよりもストレスを感じるし、どちらかと言うと≪もうイヤだ≫と思っていたから。

 上の子には手をあげることだって、たくさんあった。

 また、一から子育てなんて・・・。

 でも、一人っ子じゃかわいそうだし、できちゃったし、仕方ないよなぁ。。。

 この程度だった。

 妻をやって、母をやっている自分を幸せだと思えなかった。

 妊娠中も何度も何度も 流れちゃえばイイのに って思った。

 上の子のことも、おなかの子のことも
 
  こいつらさえいなければ、私は自由になれるのに って思うことだってあった。

 

 ハル君が生まれた瞬間、あれだけイヤだと思っていた子なのに、大好きになった。

 自分の中でも子供に対する愛情が日に日に大きくなっていくし、それがイヤとは感じなかった。

 ハル君を生んで良かったなぁって思っていた矢先に、病気が分かった。

 自分を責め、呪った。

 私が全部悪い。

 ハル君のこと、要らないって言ったから。

 流れちゃえばイイって思ったから。

 だから、この子はこんなカラダで生まれてきたんだ。

 私がこの子をこうしてしまったんだ。

 この子は、自分が早く死んじゃえばいいって思ってこうゆうカラダで生まれてきたんだ。

 私がココロの中でいつもそう思っていたんだから。赤ちゃんだってそう思うよね。。。

 泣いてる間、ずっとこの事だけ考えていた。

 おなかの子の事を要らないと言った私への罰なんだ。

 こんなにかわいく生まれてきたのに・・・。

  ごめんなさい

 私があんな風に思ってたから・・・。

  ごめんなさい

 悔やんでも、悔やんでも、悔やんでも、許されるはずが無い。

 私のハル君への懺悔は今でも続いている。

 神様、私、いっぱいお願いしましたよね?

 この子がおなかにいる時だって、生まれてからだって、

 何とも無い子にしてくださいってお願いしましたよね?

 どうして、何も叶えてくれないの?

 どれか一つでも叶えてはくれないの?

 なんで、私の子なの・・・?

 

 私はこの日から、『神様お願い』とは言わなくなった。

 神様なんて、いないんだから・・・

 

 私はこの日から、育児日記をつけ始める。
| <<追憶>> | 01:47 | - | pookmark |
追憶 4. 〜NICU時代・前編〜


 
 産院を退院してからは通い母生活の毎日だった。

 赤ちゃんの入院している病院は、家から歩いて5分とかからない総合病院だった。

 ↑これは、NICUの看護師さんが毎日赤ちゃんの様子を書いてくれるノート。

 コレを見るのが楽しみだった。

 この時は、まだ すぐに帰れる大したこと無い って思ってたから、

 日記なんてつけて無かった。

 2人目なんてこんなもん・・・・、ホントにその程度だった。

 この子の為に特別何かをしなくっちゃ!とか、

 そういう上の子の時のようなキャピキャピした気持ちは無かった。

 すべてにおいて、『こんなもんでいっか!』程度だった。

 今思えば、保育器から出られた日、体温調節ができるようになった日、初めてオムツを替えた日、

 先生から○○の話があった日・・・って、全部書き留めておけば良かったって思う。

   

 
 8/6、赤ちゃんに名前がついた。遙夏という名前。

 モニターや保育器に貼ってあるシールが≪○○遙夏≫となって、なんだか嬉しかった。

       

 遙夏は、私がいる時はめったに泣かなくて、それが一番心配だった。

 いつも寝てるか、ボンヤリしてて動きが少ない。―――というか、動かない。

 『ホントにこの子泣きますか?』って看護師さんに何度も聞いた気がする。

       泣かない子は、フツーじゃ無い。何も無い子はちゃんと泣くもん。 
 
 そう思っていたからだろう。元気に泣いて欲しい。不安を払拭して欲しい。

 同じ、NICUの中にいる赤ちゃん達みんな、遙夏より一生懸命泣いている気がして不安に駆られた。

 面会に行く度思っていた。

        神様、どうかこの子は異常のある子にしないでください 

 毎日×毎日、念じていた。

       

 
 ある日、担当の先生が言った。

 『脳に出血痕っぽい物が見える』
 『小脳の周りの水が普通より多い』  と。

       ガーン。脳って、、、、一番やばいんじゃないの?
       そうゆうのがあると、将来どうなるの?普通の子じゃなくなるの??

 説明を受けている間も上の空で、そんな思いでいっぱいだった。

 後日、専門の先生に診てもらった結果、出血痕ではないと言われたが、小脳は低形成だった。

 ただ、私の中で脳のことはずっと後まで忘れる事になる。

 それよりも大きいダメージがくるのだから・・・。

 この時もただ、
   
       神様、脳があれこれ言われてるけど、フツーの子ですよね??
       私、障害のある子なんて絶対イヤです。どうか、どうか・・・・。

 と心の中で念じ、ヤバそうなことから目をそらそうとしていた。

       

 保育器卒業して、母乳もあげられることになって、初お風呂もやったし

 私の中ではいい方へ行っている気がカナリ膨らんでいた。

 でも、遙夏は生まれた時と同じように、相変わらず呼吸を休んで

 サチュレーションモニターの警戒音を派手に鳴らし、看護師さんたちを走らせた。

 『ハル君は、口の周りが青ざめていくから・・・』って説明されるのだが、サッパリ違いが分からない私。

 サチュレーションが下がっていくことに対しても、

≪ものすごくヤバイ≫っていう危機感は無かったのかもしれない。

 刺激すれば戻るんだから。

 それよりも、もっとオッパイに上手に吸い付いて欲しいなぁ〜なんて思っていた。

 ハル君は、生パイが苦手だった。吸いつかせるのにも一苦労。

 NICUは私にとっては暑くて、ハル君とオッパイの死闘をするたび、汗だくで目が回った。

 

 これまた、ある日、看護師さんに

 『先生から話が聞けるけど、日はいつが良いですか?』的なことを言われた。

 この時の遙夏は、飲むのが下手でゆっくりだったオッパイ&ミルクも上達してきて、

 量も飲めるようになってきていたし、見た感じ、元気って思っていたので、

 退院の話だろうって思って疑わなかった。

 

 やっと、きたーーーーって思っていたのに・・・・・。 
| <<追憶>> | 00:01 | - | pookmark |
追憶 3. 〜初乳&初面会〜
 赤ちゃんがいなくなっても、私は≪平気なフリ≫を演じていた。

 3日目だったか、4日目だったか・・・、

 ―――実はもぅ、ハッキリとは覚えていない。
      当時の使っていたケータイのメールも何故か消えてて思い出すすべが無いのだ。

 オッパイが究極に張ってしまった。
 
 それまで、ずっと我慢していた。赤ちゃんがいないから言い出せなかった。。。

 痛くてどうしようもないので、(ここでもまた平気な顔をして)
 
 『搾乳させてもらえますか?』と看護師さんにお願いした。

 他のママ&赤ちゃんと一緒に、、、おんなじ部屋で、、、。

 それでも嬉しかった。やっと赤ちゃんのためにしてあげられることができたから。

 私は隅っこで、みんなの邪魔にならないように

 オッパイのマッサージをして、せっせと絞った。

 ペタンコの私の乳からは想像できないくらい、たくさん絞れた(笑)  

 ただ、ものすごく痛くて、絞った後はいつも真っ赤になった。。。アザにもなった。

 他の人の赤ちゃんを見たら、きっと泣き顔になっちゃうからって、
 
 私はいつも壁の方を向いていた。

 今思えば、病院側にもぅちょっと配慮があっても良かったかなって思う。。。

 まぁ、言い出せなかった私も私だけど。

 私の赤ちゃんの2日遅れで、パパの弟夫婦の赤ちゃんが生まれた。

 同じ産院で。――――ママとは違う部屋だったけど。

 お見舞いにくる人はもちろん私も知ってる人もいたから、いちいち説明するのが面倒だった。

 オッパイの時間に私が一人で搾乳してるのを、ママに見られるのもなんかイヤだった。

 決して仲が悪いわけじゃないけど、なんか、惨めな気持ちだった。。。

 それでも、明るく振舞った。

 2人目ママの入院期間は5日間だったから、きっと、4日目だと思う。

 遙夏の面会へ行っても良いっていうOKが出た。

 パパが迎えに来てくれて、退院する時に着るはずだった洋服を着て出かけた。

 産院の中では平気なはずだったのに、思うように体が動かなかった。

 暑さも手伝ってか、動悸がものすごかったのを覚えている。

 気持ちは早く赤ちゃんのところへって思っているのに、足も体も動かない。

 

 パパにNICUへの入り方を教えてもらう。

 ピンポンを押して、名乗って、手をみっちり洗って、白衣を着て、また中で手を洗って、消毒して

 ――――やっと会うことができた。気持ちがホクホクした。

 保育器の中の赤ちゃんは、私が今まで見たことが無いような≪赤ちゃんの姿≫になってて、
 ちょっとビックリしたけど
 (鼻からチューブは出てるわ、胸にはコードが貼られてるわ・・・・)

 幸せな気持ちだった。

 
 手が入れられる窓から触らせてもらった。

 やせっぽちだったけど、フワフワで気持ち良い。ずぅっといい子いい子していたいよ。

 産院でのションボリした気持ちがスゥってどっかいっちゃいそう♪

 でも、酸素が無くなっちゃうからちょっとにしておこうってパパに言われた。

 ずっとずっと眺めていても飽きないよ。。。

 でもね、ママ、どうしてか疲れちゃって、目も回ってきちゃって帰ることにしたんだ。

 産院に戻ってからは、動悸も治まらなかったし、頭も痛くなってたし、

 気持ちも悪かったけど、看護師さんが聞きに来た時は『何とも無いです、大丈夫です』って言った。

 昔から、知らない人に弱いところを見せるのが、どうも苦手だった。。。

 
 この時はまだ 『 新生児によくある感染症だと思います 』 って言われていて、

 ふぅ〜んって、鵜呑みにしていた。

 なんだか良くわかんないし、
 
 お薬が効けばいいんだぁって、
 
 やっぱり、大したこと無かったんだって、ホッとしていた。

 
 私の退院の日、

 赤ちゃんに着せるはずだったバーバリーの白いベビー服は持って帰ることになった。

 上の子のお下がりじゃなく、赤ちゃんのために買ったものだったのに。

 結局、1度も着せることが無いまま、今もウチで眠っている。 
| <<追憶>> | 23:09 | - | pookmark |
追憶 2. 〜誕生翌日〜
 遙夏が生まれたのは 午前2時32分 。

 その日1日は産婦人科医院にいた。

 私はもりもりとゴハンを食べていたし、

 ファッション雑誌ながめたり、パパが借りてきてくれたニンテンドーDSなんかして楽しくしてた。

 次の日から授乳が始まる♪

 2人目だけど、ウキウキしていた。赤ちゃん、早く触りた〜いっ!って。

 でも、次の日の朝、センセーに呼ばれた。

     たまに呼吸を休むことがあるから保育器に入れていた。
     小児科の先生に心臓を診てもらったけど、異常は見られなかった。
     何とも無いと思うけど、念のため、総合病院で診てもらったらどうか?

 よく思い出せないけど、こんな感じのことを言われたと思う。

     ( ̄ロ ̄lll)ガーン マジでぇ?? なんかヤバイってこと??

 こんな感じで、心の中は若ぶったショックぶりだったと思う。

 でも、何とも無いって思い込みたい私はニコニコしながら

     『ハイ♪じゃぁ、お願いします♪』 って、動揺してないフリをしたんだ。

 

 総合病院で入院の手続きをしなくてはいけないから、パパに電話した。

 ここでも、軽い感じでしゃべったと思う。

      深刻に考えたらホントになっちゃう。コレは全然何ともないことなんだ。。。

      センセーだって、念のためなだけって言ってたじゃん。。。

 
 総合病院の先生や看護師さんが、救急車で赤ちゃんを迎えに来た。

 保育器版のストレッチャーに赤ちゃんは納まっていた。
 
 センセーや看護師さんは優しい顔で『じゃぁ、お預かりしますね』と言った。

 私の表情はどうだったんだろう?
 
 『―――よろしくお願いします。』  笑顔でいたつもりだけど・・・。

 棒立ちしている私に産婦人科医院のエライ看護師さんが言った。

 『下までついて行っていいのよ。』と。。
 
 え?
 
 別に大したことじゃないんだからいいよぉ〜、なんてチラッと思ったけど、

 一応母なので、下まで行くことにした。

 

 1階は外来中。

 正面の玄関から出て行く、赤ちゃんを乗せたストレッチャー。

 お腹の大きい妊婦さんたちが見ている。見ている。。。

        恥ずかしいったらありゃしないっ!!

 おまけに救急車はピーポーピーポーと大きな音を鳴らしながら去って行った。

 挙句の果てに私は妊婦パジャマだし。―――勘弁してよっ。

 そんな大げさにしなくても・・・。

 あ、でもこれってレアな体験じゃない?なんて気持ちにもなってたかも。

 赤ちゃんがいない私。

 他のママさんたちは授乳しに行く。私、暇人。。。

 パパが赤ちゃんのポラロイド写真を持って来てくれて、それをずっと眺めて過ごす。

 ゴハンを食べて、暇して、写真を眺め・・・

 繰り返すうちに悲しくなって、声を殺して泣いた。

 何が悲しかったのか・・・。

        私だけすることが無いから?

        赤ちゃんがいないから?
 
        赤ちゃんが病気かもしれないから?

 今思い出そうとしても、よく分からない。

 情緒不安定だったのかな??

 ただ、人の前では明るくしていたし

 ゴハンの時も他のママさんの前ではニコニコしていた。

 赤ちゃんがとんでもないことになってます、なんてオーラは出したくなかったんだ。

 でも、私だけ意味の無い存在のような気がして、涙が止まらなかった。

        赤ちゃんに何もしてあげて無いのに、ゴハンばっかり食べちゃって・・・

 
 育児日記が産婦人科からのプレゼント(?)に入っていた。

 ?の子の時は、もらった日から書いていた。

 でも、今回は書く気がしなかった。

 赤ちゃんもいないし、この状況や心の内を書き留めておくなんてイヤだった。

 この状況を書くことで自分を追い詰めたくなかった。

 

 
 イヤなこと、辛いことなんて大嫌い。考えたくない。

 楽観していたかった。
| <<追憶>> | 00:53 | - | pookmark |
追憶 1.  〜遙夏、誕生〜
 遙夏は 40週6日 フツーの産婦人科医院で普通分娩で生まれた。

 妊婦検診では≪異常なし≫が当たり前。

 私もフツーに若いし2人目だし、妊娠中、心の中に何の不安要素も無かったんです。

 親戚まで見渡してもフツーになんともない人ばかりだったし・・・。

 自分自身、今までろくに病気もしないし怪我もしない、

 フツーの家庭で、フツーに何のインパクトも無く

 超・超・平凡な人生送ってたから

 私に限って変な子は出てこないだろうと思い疑わなかったです。
 (この時の私は、まだ偏見の塊でしたから、こんな表現でスミマセン)

 

 次の日には入院&誘発剤っていう予定だったので

 破水した時には『よっしゃぁーーー!!』って感じでした。

     ただ、なかなか生まれてこようとしないお腹の子。
         変なモヤモヤがこの時からあったのかもしれません。。

 
 破水から2時間ちょいで遙夏は生まれてきました。

 安産ラッキー♪と思ったのもつかの間。

 だって、赤ちゃんが泣かない。

 ズズズーッって吸引されたら、『オギャー』って泣くでしょ?普通。―――う、産声は??

     なんか、変・・・・。

 さんざん吸引されたあと、『ほぇ、ほぇっ』と弱々しく泣いただけだった。
 
 その後一声も泣かなかった。

     なんか、ある・・・・このコ。

 直感でそう思った。

 私を困らす何かがある子かも、って。
 
 でも、もちろんそんな思いは否定して考えないようにしてた。

    フツーじゃない子だなんて、絶対無い。     絶対イヤだもん。。。

 自分で自分を励まして。

 私に限ってそんな不幸は降ってこない、って。

 

 赤ちゃんはとっても可愛い。
 
 出産の疲れは上の子の時よりぜんぜん軽く感じてて

 何度も新生児室の窓越しに行って、何十分も眺めてた。

 一番遠いところにある保育器に入れられてて、よく見えなかったけど。。。

       体重もちゃんとあるのに何で保育器なんだろう?

 
 そして、見に行く度に疑問が・・・。

       赤ちゃんの腕、何であんなに黒いの??

 今思えば、チアノーゼだったんだろう。

 でもあの時の私は、手袋かなんかしてるんだと言い聞かせた。

 保育器でよく見えないっていうのをいいことに。

 私の視力が悪いっていうのをいいことに。

 

 

 どこまでもフツーじゃないことから目をそらせたかったんだ。

 
| <<追憶>> | 21:30 | - | pookmark |
はじめに。
 遙夏が生まれたのは

 平成17年7月28日。

 この日から、私の人生はちょっと変わったと思う・・・。

 

 

 ブログを始めたのが

 平成17年9月8日。

 

 思い出したくないような
 
 覚えているうちに書き留めておきたいような≪―――あの頃≫。

 今まで、ずっと語らなかった遙夏が生まれてからブログを始めるまでの空白の時間。

 
 今ならきっと泣かずに振り返られる、と思うんだ。

 

 だから・・・・・・、回想です。
| <<追憶>> | 19:30 | - | pookmark |
1/1